集団的自衛権についての考察
友達が自分を守ってくれるとき
友が私を守ってくれるという。
その友達が危機に陥った時は自分が助ける。
これは法律議論以前の倫理観の問題である。
世に集団的自衛権と呼ぶそうだ。
百田尚樹氏は小説「カエルの楽園で」巨大なワシにその本質を語らせた。
2つの自衛権
個別的自衛権。
ここに友は存在しない。
自分が危機に陥った時の正当防衛の話である。
我が国憲法では二つの自衛権について記述を分けていない。
憲法13条が国民の生命、自由、幸福追求権を保障する以上、個別的自衛権の保有は議論の余地がない。
一方の集団的自衛権。
国連憲章51条により、国連安保理による措置を待つ間、加盟国に個別的または集団的自衛権の発動を認めている。
我が国は以上の理由により、二つの自衛権を保有している。
自衛隊(個別的自衛権)に関する解釈改憲
これに相反するのが憲法9条である。
我が国は陸海空における戦力不保持を誓っている。
しかし、仮に外国の武力行使が我が国に及んだ場合、憲法13条(国民の生命、自由、幸福追求権の保障)が果たし得ない。
そこで、戦力未満の自衛のための「実力組織」として自衛隊を保有した。これは解釈改憲である。
個別的自衛権を正当化するために、憲法9条にその旨を付記するという。
付記しなくても前述の解釈で自衛隊を正当化することはできるが、9条付記を許すか否か。
そこには戦後70年の平和を享受した、日本国民の意思表示を見ることができるであろう。
集団的自衛権の二面性
内閣法制局は「我が国は集団的自衛権はあるが行使できない」との見解だった。
集団的自衛権を認めると、同盟国のために、国益とは無縁の地で紛争に巻き込まれるからである。
ここに地域と国益の概念が生ずる。
日本列島周辺に駐留する米軍に対する敵対国の武力行使。
冒頭の命題のとおり、日本列島周辺で我が国を守ってくれる友のために、共に反撃すべきという議論も成り立つ。・・・A論
一方で、地球の裏側で、国益とは無縁の紛争に出動せざるを得ないケースも想定される。・・・B論
集団的自衛権とは、このような二面性を内包している。
集団的自衛権の解釈改憲
日本政府は2015年、「武力攻撃事態法」の成立により集団的自衛権を容認し、解釈改憲を行った。
無制限の海外派兵(B論)を抑制する楔として「存立危機事態」を規定した。
しかしその「存立危機事態」の判断を時の政府の良識に委ねる限り、日本国は1930年に舞い戻ったとも言える。
当時のドイツも日本も議会制民主主義を布いてはいたが、権力に対する歯止めが機能しなかった。
集団的自衛権を容認する2015年の判断が正しいと言えるのかどうか。国民一人一人が思いを馳せるべきである。
【この記事の執筆者】
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◆プロフィール
奈良県橿原市 1975年生まれ
奈良県立畝傍高校卒 / 同志社大学法学部卒
◆奈良県橿原市議会議員/井ノ上剛(いのうえごう)公式サイト
◆介護職員実務者研修修了
◆社会保険労務士、行政書士
(執筆の内容は投稿日時点の法制度に基づいています。ご留意ください。)
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