英米仏×日本 近代国家および憲法成立の決定的相違点
このコラムでは、英米仏三か国および日本における、市民革命、自由と権利の獲得、憲法の制定過程について、相違点に着目して論じる。
■イギリス名誉革命と権利章典
英国においては、現代においても憲法典は存在せず、議決・法律・条約などの複合体により不文律の憲法を構成している。
その草分けは、1215年のマグナ・カルタ(大憲章)に遡るが、それは広く一般大衆の自由・権利を保障するものではなく、一部の貴族・聖職者の徴税権保護に過ぎなかった。
英国の本格的な市民革命は、1600年代の2つの革命による。つまり、1642年のピューリタン革命と1688年の名誉革命だ。
その結果、ジェントリ(地主)とブルジョワジー(商工業者)は、時の国王に対し、
・法律制定、課税、徴兵に議会の承認を必須とすること
・議会内での活動に対し、議会外での弾劾を禁止すること
等の点を認めさせた。(権利章典)
また一連の事件は、思想家ジョン・ロックの著作「市民政府二論」によって、正当化される。彼の思想は100年後のアメリカ独立戦争にも受け継がれた。
≪市民政府二論の論旨≫
・基本的人権
・生存権
・財産権
ロックは、これら権利は「契約」により統治機関に委ねるが、統治機関が圧政を行ったときに、人民はこれを改めることができるとした。これを抵抗権・革命権と呼ぶ。
■アメリカ独立戦争と独立宣言、憲法制定
1700年代半ば、アメリカ13州は英国の重商主義政策植民地として支配されていた。
着実に力を蓄える13植民地に対し、英本国は下記の悪法を制定した。
1.砂糖法(アメリカが輸入する砂糖への関税)
2.印紙法(アメリカの出版物に課税→弁論抑圧)
3.タウンゼント諸法(酒、茶、紙、ガラスに関税)
これらに対し、ワシントンが米軍の中心となり武力衝突が生じた。アメリカ独立戦争である。
独立戦争では、皮肉にも「英国権利章典」、「市民政府二論」の思想が旗印となった。その思想は独立宣言、合衆国憲法の中に脈々と受け継がれているのである。
アメリカ独立戦争は王政打破ではないが市民革命の一種であると言える。つまり英国で100年前に起こったピューリタン革命、名誉革命同様、時の専制的権力から自由・権利を自ら勝ち取ったのである。
■フランス革命と人権宣言、憲法制定
フランス人権宣言(1789年)、1791年憲法の成立は、アメリカ独立戦争に起因する。
独立戦争にアメリカ側で参戦したフランスは、財政的に破たんを来しただけでなく、一般市民はその思想的影響を強く受けることとなった。
旧態依然とした身分制度(アンシャン・レジーム)がはびこるフランスでは、第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)が免税特権を維持し続けるのに対し、第三身分(平民)は国民議会の成立を宣言することで、絶対王政に対抗した。
アメリカ独立戦争に参戦したフランス人ラファイエットは、人権宣言を起草し、アメリカ独立宣言で主張された諸権利に加え、所有権不可侵の原則を主張した。
一方、時の国王ルイ16世は人権宣言を無視しため、民衆の活動は革命へと加速する。
1791年憲法により、立憲君主制への移行を宣言した市民階層は立法議会を招集し、ここに市民革命が成立する。
しかしその後、フランス革命は第二段階を迎え、過激左派ロベスピエールの台頭、国王16世の処刑、ナポレオン独裁時代へと続くのである。
■英米仏三カ国の市民革命と日本の決定的相違点
以上のように英米仏三か国の市民革命の歴史より、2つポイントが見えてくるはずだ。
1.英国の名誉革命(権利章典)がアメリカ独立戦争(独立宣言、合衆国憲法)およびフランス革命(人権宣言、1791憲法)へと受け継がれた
2.英米仏の近代国家(国民国家)の成立は、時の権力者に対して人民が立ち上がり、自由と権利を勝ち取ったものである
この点から考えると、日本における明治維新(および大日本帝国憲法)、敗戦と日本国憲法の制定は、英米仏とは全くその性質が異なることが分かる。
つまり、明治維新は迫りくる帝国主義諸国に対する、国防を本願とした政体転換であるし、日本国憲法は敗戦後GHQ統治下での制定である。
現在の私たちが享受している、自由と権利は私たち日本国民が「勝ち得たものではない」ということを明言して、現行憲法に関する検討を別項に譲りたいと思う。
【この記事の執筆者】
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◆プロフィール
奈良県橿原市 1975年生まれ
奈良県立畝傍高校卒 / 同志社大学法学部卒
◆奈良県橿原市議会議員/井ノ上剛(いのうえごう)公式サイト
◆介護職員実務者研修修了
◆社会保険労務士、行政書士
(執筆の内容は投稿日時点の法制度に基づいています。ご留意ください。)
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