令和4年7月8日の事件記録
(写真は令和4年7月8日11:28~29頃 本人撮影の動画から)
安倍元首相の銃撃事件から2日、心の整理は未だつきませんが、その場に居合わせた者の責務として記録しておこうと思います。
令和4年7月7日(前日)
夕刻、自民党奈良県連から「8日11:10、大和西大寺駅に安倍元首相が応援弁士として来県」の趣旨が通達されました。私は自民党奈良県第三選挙区支部青年局長を拝命していることから、その指揮系統の中で通達を受けました。
通達を受けた時刻から演説時刻まで24時間を切っていたことから、要人のスケジュールはリスク管理上、直前まで公開されないのだと改めて実感しました。
私の役目として、安倍元首相の来県を自民党奈良県第三選挙区の青年局内に再通達し、参加メンバーを募ることが求められたのですが、これまでの参院選活動の中でも、青年局内メンバーには様々な協力依頼をしていたため、再通達をためらっていました。
そうしていたところ、すでにSNS上で安倍元首相の来県情報が広まっていることを知ったため、私が議員として活動している橿原市議会同会派メンバーへの再通達だけに留めました。
7月8日 10:50 大和西大寺駅到着
近くに住む友人と、車で大和西大寺駅に向かいました。10:40には到着するよう指示を受けていたのですが、途中平城京付近で大渋滞に陥りました。友人とは「安倍元首相の応援演説を見に来る人のせいかな?」などと会話しました。
渋滞が一向に解消しないため、私は途中で車を降り、演説場所まで歩き10:50に到着しました。友人は車を駐車し、その後11:20頃に合流しました。
11:00 演説開始を待つ人だかり
司会進行を務める地元国会議員のマイクアナウンスにより「街頭演説が11:10から11:40までである旨」、「候補者が日々選挙活動を頑張っている旨」、「安倍元首相が応援に駆け付ける旨」が繰り返し告知されました。
街頭演説が始まるまで、候補者は群衆に分け入り挨拶をされていました。集まった人の数は目測で200~300人かと思いました。
11:10 街頭演説開始
地元の市長、国会議員、自民党奈良県連幹事長が応援演説を開始しました。
この間、私が立っていた側からSPと思しきスーツ姿の男性が3名ほど見えました。いずれも厳しい目線を聴衆に向けていました。時に体の向きを変えつつ、明らかに警戒している姿が見て取れました。
自民党奈良県連幹事長の演説中、近くに停めてあった車両から安倍元首相が出てこられ、歩いて演壇に近づかれました。安倍元首相の姿を見た聴衆からは大きな拍手が生じました。
11:20 候補者演説開始
自民党奈良県連幹事長の応援演説後、安倍元首相が演説するのかと思ったところでしたが、候補者が演説を開始しました。11:40には街頭演説を終了する旨のアナウンスが冒頭で行われていたため、安倍元首相の演説が11:30ごろから始まるのだと推測しました。この間、安倍元首相は候補者の隣で聴衆に手を振り笑顔で応えておられました。
11:28 安倍元首相 応援演説開始
私が撮影していた動画の時刻によると、安倍元首相の応援演説開始は11:28です。私は冒頭の52秒間、動画を撮影していました。安倍元首相の姿をこのような近くで見る機会は初めてだったため、その後は実際の目と耳で触れようと思い、スマートフォンを収めました。
銃撃の瞬間
その日は曇天で直射日光が当たらなかったとはいえ、汗かきの私はハンカチで右側頭部の汗を拭っていたようです。私のちょうど真後ろの方が撮影しておられた動画が、テレビニュースで再三流れたことから分かりました。白いポロシャツ姿が私で、その右隣りが同行した友人です。離れて左側には、橿原市議会の同僚議員が2名います。(後で知りましたが動画左に犯人の姿が見えます)
ドーンという発砲音に、両肩が大きく動く自分の姿をテレビで見ました。映像はそこで終了しています。
多くの方がコメントされている様に、打ち上げ花火に似た音でした。
瞬間、演壇に後方から近づく1人の男性を見ました。
私が感じたのは「ふざけた人が近づいている」程度です。
その場の多くの人たちもきっと、何が起こったのか理解できない状況だっと思います。
私はその男性が大きなものを抱えているのを見ました。
次の瞬間、2つめのドーンという発砲音とともに白煙が上がりました。もしかすると1つめの発砲音の際にもすでに白煙が上がっていたのかもしれません。
後にテレビの映像で見たときよりも、現場にいたときの方が2つの発砲音の間隔は長く感じました。人間の感覚からして、時が止まったように体感したのかもしれません。
次の瞬間、安倍元首相が崩れ落ちるのを見ました。
時を同じくしてSPが犯人に駆け寄るのを見ました。あまりに急いでいたのでしょう、SPの1人が途中で足を滑らせ、転倒したことも記憶しています。
犯人は抵抗することもなく、すぐに取り押さえられバス停の方へ連れて行かれ、横倒しになりました。
数名の人が安倍元首相に駆け寄りました。ここから先は時間間隔および前後関係が定かではありません。
居合わせた県内の市長がマイクを取り「看護師さんおられませんか!」「AED持ってきてください!」「医師の先生おられませんか!」「助けて下さい!」と連呼しました。何度も何度も繰り返しました。
私のすぐ近くにいた男性が「あのビルに病院がある!」と指さしました。
当該市長はビルに向かって叫び続けました。
安倍元首相に心臓マッサージをしている様子を見ました。
「AED到着!」と呼ぶ声が聞こえました。
次々と医療従事者と思しき方々が緊急治療に加わりました。
「救急車両が通行しやすい様に」との趣旨でマイクで呼びかける声がしました。選挙スタッフらが交通の整理を始めました。
遠くからサイレンが聞こえましたが、到着したのは消防車両でした。私は「なぜ消防車両なんだ」と感じました。
救急車の早期到着を祈りました。奈良市の中心部での119番要請に、正直なところ到着が遅いと感じました。パトカーの到着も遅く感じました。
倒れた安倍元首相を動かす姿が見えましたが、下半身は脱力しているように見えました。
2つ目のサイレンが聞こえました。私がいた側から近づいたため、遠くから救急車の姿が見えたときは多少安堵しました。
その場にいた人が救急車を誘導し、救急車が停車しました。
中から救急スタッフが降車し、同時に「ストレッチャー!」と叫ぶ声がしました。
パトカーが到着し、中から制服の警察官が飛び出し、交通の整理に当たりました。
警察車両が続々と到着しました。私服の警察官が取り押さえられている犯人に近づきました。
安倍元首相はガードレールで囲まれた部分に倒れていたため、通行部分を確保する動きがありました。
ブルーシートで覆われつつ、安倍元首相がストレッチャーに乗せられました。
ストレッチャーに乗せた安倍元首相を、ガードレールの隙間から救急車に運ぶ作業が行われました。
狭い空間でブルーシートを伴って動くのは大変だと感じました。
ブルーシートの隙間から撮影しようとする人たちがいました。
選挙スタッフが泣きながらそれを制止しました。
新聞記者が近づきました。
選挙スタッフは泣きつつ怒りつつ「気持ちを考えて下さい」と新聞記者の行動を制止しました。
候補者も泣いていました。
マイクを持つ人は「今日はもうここでの活動は終了です。皆さんお帰り下さい。」と呼びかけました。
救急車が通行するために、一般車両の通行を制限しました。
救急車は大きく左へ旋回し、道路を東へ向かいました。
マイクを持つ人は再度、「今日はもうここでの活動は終了です。皆さんお帰り下さい。」との趣旨を繰り返しました。
犯人は警察車両に乗せられました。
私と友人は茫然自失のまま、11:50頃にその場を去りました。
仮に銃撃が11:30だとすると、この20分はあまりにも長く感じました。
【この記事の執筆者】
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◆プロフィール
奈良県橿原市 1975年生まれ
奈良県立畝傍高校卒 / 同志社大学法学部卒
◆奈良県橿原市議会議員/井ノ上剛(いのうえごう)公式サイト
◆介護職員実務者研修修了
◆社会保険労務士、行政書士
(執筆の内容は投稿日時点の法制度に基づいています。ご留意ください。)
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